2014年8月8日金曜日

グースベリーに救われて

(6月に書き始めた記事です。ご容赦を)
梅雨というものを随分久しぶりで経験している。まさに連日これ雨か曇りである。これが悪くない。早朝の散歩に出れば、夜中に動物が徘徊した跡や、綺麗な鳥の鳴き声、そして見知らぬ植物が語りかけてくる。晴れて朝陽に迎えられるのもいいものだが、冷たい雨の中傘をさして自然と対話しながら歩くのはまた格別である。

佐久は平地でも標高700メートルを越えている。それでも夏は暑いようだ。千曲川の流れに鮎つりの竿をさす人々は下半身が冷え冷えとしていても、水につからない上半身はさぞ暑かろうと思う。

所用で里に降り、その暑さに閉口して帰りを急ぐ。山道を登りはじめて5分もすれば、車の冷房を切って窓を開ける。いつもその意外な温度変化に驚かされる。山の濃い緑と新鮮で冷涼な空気が、大げさに言えば私を生き返らせる。

心を病んで数年、当初は先々のことを憂え、発狂の恐怖に囚われていた。それでも体は生きようとして飯を欲しがる。最近は自己観察というものを、辛くも面白く感じる時がある。まだ境界を越えてはいないようだが、躁鬱の気質である。人に親切にしようとし、つまらない冗談を言う。こんなときは躁になっている。小さな失敗で絶望するときは欝。症状は軽いのだろうと思う。昨今は結構冷静に自分を見つめ、これを研究する余裕さえあるようだ。

先日相次いで出費が重なり、急に将来が見えなくなったような気がした。あれを節約しこれを削って、これで損をして、ということは日常のことである。が、欝にあるときは、これを尋常とは思えないのである。

人は他の動物より自由度が高いと思う。だからそれぞれが好きなように生きればいい。ただ、その生き方が正しければ神様はこれを許してくださり、間違っていれば正してくださる。思慮深く、計画性をもって生きるもよし、無計画に気まぐれに生きるもよし。確実なことは、遅くともあと数十年で私は、この地上から消えてなくなると言うことだけである。

私は耶蘇ではないが、マタイによる福音書6章に

26.空の鳥を見なさい。種もまかず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなた方の天の父は鳥を養ってくださる。あなた方は鳥よりも価値のあるものではないか。27.あなた方のうち誰が思い悩んだからと言って、寿命をわずかでも延ばすことができようか。

とある。

聖書の成立は詳しくは知らないが、今から1800年から1900年前である。すなわちこの言葉は2000年近くも人々の間に読まれ続けてきたのである。(日本に渡来したのは1549年)それでも人はあくせくする。個人的には私はこの言葉を二十歳くらいの頃に読んだ。そしてそれからン十年を経た最近「そうなんだろうな・・・」と言う程度に理解するようになった。

自分と言う一個人の進歩の遅さにはときに唖然とするが、それでもいくらかずつは前に進んでいるものらしい。落ち込んでいるときには、浮かび上がるためのきっかけが欲しい。それは必ずしも先のような深い含蓄のある言葉でなくてもいいのだ。

昨年の今頃、友人Cが大玉のグースベリーを持って遊びに来てくれた。彼女には、かねてより種が欲しいので良く熟れたグースベリーがあったら持ってきて、と頼んであったのだ。そういう種類なのだろう、一粒が葡萄のデラウエアと同じくらい大きい。食べるのもそこそこに私は種を取り出してちり紙にくるんで乾燥させた。大事にしすぎて一時行方不明になったが、この春無事に発見でき、牛乳パックの即席苗床に蒔いた。

出費が重なったとはいえ、気持ちが随分と暗くなっていたのは、そんな時期だった。元来私はケチである。モノを買うまではあれこれ逡巡し迷うが、(それでも買ってしまった後は綺麗さっぱり忘れる)しかし、精神の落ち込んでいるときはそうは行かない。これが連鎖反応を引き起こし、いよいよ落ち込むのだ。

せっせと水をやり、毎朝心の中で声を掛けた。しかし、待てど暮らせど芽は出ない。人工交配された種なのだろう、あらかじめCからは、タネでは増やせないかもしれない、と言われていた。数十粒蒔いたにもかかわらず、ひとつとして出ない。

ある朝、ざらついた苗床の土の表面をなめるように見ていた。そこに白い何かが見えた。昨日まではなかった何かがあった。私は最初に雑草を疑った。飛んできた雑草のタネがここで発芽してもおかしくはない。欝期とはそういうものなのだ。数日たってタネの黒い殻が土から浮かび上がり、、やがてそれが脱け落ちて双葉になった。さらに数日たってから双葉の真ん中から小さくもグースベリーの特徴ある葉が出てきた。

私は早朝のひんやりとした空気の中で、ひとり欣喜した。


写真は6月22日のもの。定規の50mmの下に白い茎が見える^^;



これは今撮ったもの(8月6日)。ちゃんとグースベリーの特徴である棘(トゲ)も出てきた。
              

追記・・・日本語ではグズベリと呼ぶようだが、例によって間違った英語である。敢えてカタカナ英語で言うならグースベリーである。Goose Berry すなわちアヒルの小果実である。

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